法然院サンガ: 310

法然院サンガからのご案内

N-0310-J

平成30年 8月 1日更新

法然院サンガ

 南無阿弥陀佛。

 今夏は廬山白蓮(ろざんびゃくれん)が既に10輪開きました。まだ蕾も少し残っています。炎暑の候、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。6月28日から7月8日にかけて台風7号や梅雨前線の活動などの影響による集中豪雨で西日本を中心に北海道や岐阜県など全国各地で発生した水害により被災された皆様方には心よりお見舞いを申し上げます。また酷暑により体調不良になられた皆様方にもお見舞いを申し上げます。今年も7月29日、30日の2日間、「第16回 善気山遊びの寺子屋〜おてらで なんか やったはる〜」を開き、境内は子どもたちの笑顔と輝く瞳に溢れました。開催に御協力賜わりました皆様方に心より御礼を申し上げます。お出ましにくい候でございますが、下記の通り御参詣をお待ち申し上げております。


 御本尊に供えられた菓子や果物のお下がりを貧困家庭におすそ分けする「お寺おやつクラブ」(超宗派佛教徒によるインターネット寺院『虚空山彼岸寺』の活動の一環として始まった取り組みです)にも協力しておりますので、御家庭で余っている食品(菓子・果物・海苔・醤油・油など)をお届け下されば有効に活用させていただきます。ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。

 近隣の「甘夏ハウス」で毎週金曜日の夕方に「あまなつだれでも食堂」が開かれています。子どもは無料、大人は原則500円(増減可能です)で夕飯が食べられます。この活動を御支援いただける方は下記へお振込み下さい。

  ゆうちょ銀行 四四八(ヨンヨンハチ)店 普通預金
         口座番号:4483416
         口座名義:ファミごはんサポーターズ

 当院の伽藍の維持は檀信徒からの布施によってなされておりますが境内の環境保全には年間1000万円以上かかりますので広く御寄付を募っております。ご協力いただける方は郵便振替用紙の通信欄に「寄付」とご記入いただき、お払い込み下さい。何卒宜しくお願い申し上げます。郵便振替口座番号:01050−4−60318 加入者名:本山獅子谷法然院(ほんざんししがたにほうねんいん)

 東北地方太平洋沖地震と大津波、東京電力福島第一原子力発電所の事故から7年3ヶ月経ちますが、まだ大震災後ではなく大震災真只中の日本です。原子力発電は、たとえ発電所における事故がなくとも、ウラン採掘によりオーストラリアの先住民の居住地など鉱山周辺の大地を汚染し、発電所で働く作業員の方々に放射線による被曝を日常的に強い、膨大な時間に亘って廃棄できない放射能汚染物質を管理し続けなければならないという、人類を含め、地球上の生き物とは共存できない事業です。私は、福島第一原子力発電所の事故以降、原子力発電所の無かった日本に戻ることに明日への希望を見出したいと思います。

 サンガはサンスクリットで共同体を意味し、漢訳では僧伽(そうぎゃ)、略が僧です。従って僧は出家者個人を表す言葉ではなく、佛教を信じ、実践する人々の集いを意味しました。ブッダ・佛(真理に目覚めた人)、ダルマ・法(真理・教え)、サンガ・僧の三宝を敬うことが佛教者の最も基本的な態度として定められておりますが、僧を敬うとは仲間を大切にすることを意味しています。800年前に法然上人(1133〜1212)は「どんな人間でも『南無阿弥陀佛』と唱えれば、一切の生きとし生けるものを佛に成らせる阿弥陀佛の本願の力(他力)によって阿弥陀佛が建立した清らかな世界(浄土)である極楽に往生(往き生まれること)し、阿弥陀佛のお導きによって悟らせていただけるから、『南無阿弥陀佛』と唱えて生きよ。」と教えられました。信心を定めて『南無阿弥陀佛』と唱えるのではなく『南無阿弥陀佛』と唱えていると信心が定まってゆくのです。法然上人の佛教では『南無阿弥陀佛』を唱えながら、この世で何を願い如何に実践して生きてゆくのかは個々の意思に任されています。世界では出口の無い戦い、痛ましい事件が続き、日本では未曾有の震災が継続しておりますが、お釈迦さまが説かれた縁起(生かされて生きている)という真理を実感し、心に余裕のあるときには慈悲(生きとし生けるものに対する分け隔ての無い大いなる友愛と心を重ねる同情)の精神に基づき、他人ではなく仲間とともに生きる社会であるという意識を持って、拘らず、返礼を求めず、生かされていることの感謝の表現として出来るときに、出来る対象に、出来るかたちで、布施(法施(佛教を説く)・財施(金品を差し出す)・無財施(柔和な顔、身体を他者のために使う等)・無畏施(安心を与える))に代表される菩薩行を実践することを理想としつつ、煩悩にまみれ、善悪ではなく損得ばかり考えて生きている自己中心的な己の現実を見つめながら、法然院という場をお預かりし、信心の確立、学び、安らぎ、出会いの場として皆様方と集い、少しでも心豊かに暮らせる社会となりますよう、法然上人の教えの現代的意義を説いてまいりたく存じます。

 社会的役割を担って生きることが現代における生きがいとなっておりますが、寺は参っていただく処ではなく、会社では肩書があり、家に帰られても家での役割に押し潰されそうな時に、肩書や役割を外して帰って来ていただき、慈悲に溢れる佛と向き合い、楽になっていただく処です。本年も心の潤いと糧の補給にお立ち寄り下さい、「阿弥陀さん、ただいま!」と。

                               合掌

                        法然院  梶田真章


「第75回 遊心会『平泉・陸中海岸 祈りの旅』」
ご報告

 7月2日(月)〜5日(木)に6名の御同行と共にジャンボタクシーで岩手県を旅しました。

 2日の11時半にJR一ノ関駅に集合し、一関市内の「蔵元レストランせきのいち」で一関名物の餅料理をいただき、午後は奥州藤原氏の初代 清衡が建立した中尊寺と二代の基衡が建立し、庭園で有名な毛越寺(もうつうじ)を参拝しました。中尊寺では金色堂前で念佛を唱えた後、昨年3月の7回忌に当たって本堂前に新たに建立された「東日本大震災 慰霊碑」の前で「東北関東大震災 物故衆生 追悼法要」を厳修しました。毛越寺では池越しに金堂跡に向かって追悼の念佛を唱えました。その後、厳美渓(げんびけい)で渓谷美を観賞し、山王山温泉 瑞泉郷に泊りました。近くに蛍が飛び交う素敵な山の宿でした。

 3日は平泉町にある征夷大将軍 坂上田村麻呂ゆかりの達谷窟(たっこくのいわや)西光寺[岩窟を利用した毘沙門堂で有名]に参拝した後、丸光製麺一関工場[『ふかひれラーメン』で有名な製麺会社。気仙沼市で被災され、2012年11月に一関市の山あいで工場を再建されました]を訪ね、熊谷茂社長と敬子専務ご夫妻から被災後7年間の御苦労を伺いました。以前に敬子さんが当院に来られたことがある御縁で訪問させていただきました。昼食は以前にも敬子さんに御紹介いただいて訪ねたことがある気仙沼市の「松葉寿司」に立ち寄り、陸前高田市の一本松茶屋で淺沼ミキ子さん[大震災で御子息を亡くされ、まどろみの中で『津波から逃れる避難路に沿ってハナミズキの木を植えて欲しい』との御子息の言葉を聞かれて『ハナミズキの道の会』を立ち上げられました]からお話を伺った後、「奇跡の一本松」の前で追悼の念佛を唱えました。その後、高田松原の被災した松を使って造られた震災追悼施設(2013年1月18日に低地の国道45号線沿いの『道の駅 高田松原』に建立され、新たに整備された高台に移転されました)内の「東日本大震災 慰霊碑」の前で追悼法要を厳修しました。夜はキャピタルホテル1000(千 昌夫さんゆかりの7階建ての海辺のリゾートホテルでしたが4階まで大津波に呑み込まれて廃業に追い込まれましたが、各方面からの出資の下、2013年11月1日に高台に3階建てで再建されました)に宿泊し、夕飯は陸前高田市内の中華料理「四海楼」で美味しくいただきました。

 4日は、先ず大船渡市の碁石海岸で小舟に乗る予定でしたが濃い霧と高い波のために欠航となり、海岸を散歩して霧に浮かぶ幻想的な海岸美を堪能しました。その後、大船渡市の門之浜漁港に造られた巨大防潮堤に上り12.8mの高さに圧倒されました。3年ぶりに訪れた大船渡保育園では3年前と同様に園児さんたちが園歌「さかみちをのぼって」(作詞:覚 和歌子、作曲:千住 明)を歌って下さいました。そしてイタリア料理「ポルコ・ロッソ」で昼食を取った後、5年ぶりに大槌町の曹洞宗江岸寺に参拝しました。江岸寺では大地震による大津波により、ご住職の御尊父と御長男が行方不明となられ、次女の方が震災の後に自死され、檀信徒680名余りが他界されました。ご住職は大地震後の数ヶ月間に500回以上の葬儀を勤められたそうです。あれから7年余り経ち、プレハブの本堂(土地の嵩上げの度に2回の建て直しを余儀なくされたとのことです)の傍には上棟式を間近に控えた鉄骨造りの新本堂が姿を見せつつあり、巨大なクレーン車が墓地の再整備に活躍していました。ご住職からこの7年間の御苦労や行政への御不審についてお話を伺い、追悼法要を勤めました。その後、大槌町 旧役場庁舎の前でも追悼の念佛を唱えました。旧役場庁舎は震災遺構として保存するか解体するかで議論が続いていましたが町議会でギリギリ賛成多数で解体することに決まったと知り、解体作業中かと思っていましたが、手続きにミスがあり解体作業は中断していました。この日の宿は5年前にも泊った釜石市根浜海岸にある宝来館でした。女将の岩?昭子さんは御自身も津波に巻き込まれて辛くも助かられた体験も含めて語り続けられている方です。津波を被った宿の前の松林は奇跡的に残りました。宿のある集落の方々は高台に移転し海辺には巨大防潮堤を造らないという選択をされた結果、震災以前と変わらずに部屋の窓から日の出が拝める宿が残りました。宿の裏には車椅子でも上れる避難路が整備されていました。朝の出発前に映像を交えた女将の報告会に参加し、震災の記憶を伝えてゆこうという女将の熱い想いに改めて触れました。来月19日には来年のラグビーワールドカップの会場の一つとして新たに整備された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムがオープンし、宝来館の役割は重みを増してゆくことでしょう。

 5日は大槌町の高台で自宅や庭園を「ベルガ?ディア鯨山」として開放されている佐々木格さんを訪ねました。新日鉄釜石に勤務され釜石市にお住まいだった佐々木さんは50代からこの地を整備され「森の図書館」や「森のカフェ」をお連れ合いと共に運営されています。従兄の死をきっかけに構想された「風の電話」は大地震の後、2011年4月20日に庭園の一角に設置され、大切な方を亡くされた方々に「心で話す」場を提供されています。熱く真っ直ぐな想いをお聞かせいただきま