HONEN-IN



2003年 7月

法話4 「生きとし生けるものとともに」

 私がお預かりしております法然院は、京都の鹿ヶ谷にあり、盂蘭盆の送り火で名高い大文字山の西側に連なる善気山(東山三十六峰の一つ)を境内としております。境内の森は椎などの照葉樹を中心とした森で、杉や椋、榎、椿などの大木や竹薮があり、夜になるとムササビが木々の間を飛び交い、猪が伽藍のすぐ近くまで出没し、梅雨の時期には池の上に張り出した木の枝にモリアオガエルの産卵が見られます。勿論、鳥のさえずりは年中聞こえ、リス、狸、狐、テンなどの哺乳動物も観察されています。当院を訪れる参拝者の皆様は、一様に伽藍と木々の織り成す風致を賛えて下さいますが、目に映る庭園の美しさや境内の清浄な空気は、まさに背後の森や森に棲む生き物たちによって支えられているのです。

 当院では、本尊阿弥陀如来像の御宝前、畳の面より一段高く作られた須弥壇(直壇)の上に毎日、散華を並べております。これは、二十五輪の生花を供えて、二十五菩薩を象徴するものです。この当院独特の散華の起源は定かではありませんが、一人の修行僧が庭に落ちた一輪の椿を本尊の前に供えたことに始まり、後に二十五菩薩になぞらえて二十五輪並べるようになったものと伝えられております。二十五菩薩は『十往生阿弥陀佛国経』に説かれており、阿弥陀佛を念じて極楽往生を願う行者を阿弥陀佛とともに常に擁護する諸菩薩であり、後には阿弥陀佛が来迎される(この世でのいのちの縁が尽きた人を迎えに来られる)ときに楽を奏でながら付き従って来られる菩薩と考えられるようになりました。

 朝の勤行が終わると、一晩水に浮かべておいた花を竹籠に上げ、傷んだ花は順に新しいものに取り替えます。しばらく籠で水切りをした後、清掃を終えた須弥壇上に本尊に近いほうから三輪一列、四輪、五輪、六輪、七輪一列と合計二十五輪の花を丁寧に並べます。散華する花は季節ごとに変わり、冬から春にかけては椿、春から秋にかけては、躑躅、紫陽花、木槿、芙蓉、秋から冬にかけては菊を並べます。菊以外は何れも当院の境内に咲く花を用いますが、木槿、芙蓉など、ほとん ど一日でしぼんでしまう花は、毎朝二十五輪ずつ境内で集めてまいります。花を首のところで切り取ってそのまま床の上に置くものであり、参拝者の中には残酷だと思われる方もいらっしゃるようですが、それももっともなことだと思います。総じて私どもが古来行ってきた供花や生け花も自然の花のいのちを一旦いただくものであり、それが単に人の享楽の為だけに行われるとすれば淋しい行為と言わねばなりません。また如何に故人への供養とはいえ今日の葬儀における花の大量消費は僧として心が痛みます。私は散華のために茎を切るときは『南無阿弥陀佛』を唱えながら行なうことにしておりますが、いのちの繋がりに対する感謝と畏敬の念を育てるものであってこその供花であり、生け花であると存じます。生け花でなく華道と呼ぶのなら、一層、菩薩道を歩む者としての精神を養うものであってほしいと思います。

 せっかく自然の花のいのちをいただくのですから新しく菩薩としてのいのちを担った花が、長く美しさを保ってほしいと願うのが、毎朝、散華をさせていただいている者の正直な気持ちです。自分が佛への道を歩もうとするとともに、他のいのちを生かし育て佛への道を歩ませる存在のことを菩薩と申します。観音菩薩のように、自身が佛となる前に一切の生きとし生けるものを佛にならせようとするのが究極の菩薩の姿です。いのちを投げうって阿弥陀佛を支え、私どもを浄土へと導く散華のたたずまいは、菩薩を象徴するものとして誠にふさわしいものであり、凜とした心と態度で散華を行なってまいりたく存じております。

合掌

法然院 住職 梶田真章


法話3 「観光」

いわゆる春の観光シーズンを迎えます。「法然院は何月に観光するのがよいですか。」と時々尋ねられますが、いつも答えに窮します。最近は、「あなたがおっしゃる観光というのは、 どういう意味ですか。」と逆に聞き返すことにしておりますが、はっきりしたお答えが返ってこないことが多く「花とか紅葉の時期とか…」とおっしゃられます。

 「観光」とは、中国の古典の『易経』(中国の五経の一つ。陽と陰との組み合わせにより、自然と人生の変化の道理を説いた書。占いに用いられる。『集英社 国語辞典』)の「観国之光」(他国の文化を観察してよく知る)を元として広まった言葉とされておりますが、現代では、「よその土地・国の風物・名所などを見て巡ること。『集英社 国語辞典』」と書かれているように、意味が変化して使われているようです。つまり、「知る」ことから「見る」ことへ、「教養」から「見物」へと観光という言葉の担う意味が変わってきたということなのでしょう。そこで「法然院は何月に訪れると見た目に一番美しいですか。」というご質問をいただくことになる訳です。

 全国的に寺の側でも皆様の嗜好に合わせて境内に観光客の方々が喜ばれそうな花を植えてご希望に沿うようにし、又それが最新の技術を駆使したテレビ映像を通じて紹介されますから、それが行き過ぎると、折角現地を訪れていながら「テレビで見たほうが奇麗だったね。」という感想を持たれることにもなるのです。

 単なる見物のために訪れていただく方にも何らかの役割を果たしてゆくのが現代の寺院のあり方であるとも思いますが、寺を預かる住職としては何がしかの宗教性を感じていただける場でありたいと願っております。ここでいう宗教性とは、目に見えないものとの交流を持っていただきたいということです。目に見えるものだけに捕われず、耳を澄まし、香りを聞き、場合によっては舌で味わい、肌で感じ、そして想像力を働かせていただくことによって、場所ごとの風土を実感していただきたいのです。風土は、過去にその土地に関わりを持った人々を含め、様々ないのちの営みによって培われてきたものですから、「国之光」というのは、現在に到るその土地ごとのいのちの営みの総和のことではないかと思います。単に今、目に映る景色を見ることが観光ではないと思うのです。

 当院について言えば、お寺の由緒や庭園の石組みの意味を知っていただくことが大事なのではなく、この地に寺を建て、そして今日まで寺を守り育ててきた人の心と出会っていただくこと、そしてその想いの中心に常に阿弥陀佛の存在が確かにあり続けているということを実感していただくことが最も肝要なことだと思います。様々な人々の心を広く包み込んできた阿弥陀さまの慈しみの光を心の眼で観ていただくことが、法然院を文字通り「観光」していただくことでなければならないと思います。単に「奇麗なものを見てきたね。」だけの感想に終 わっていただくことなく、訪れていただくことが人生の糧になるような寺でありたく存じます。私の器量不足で理想通りにはまいりませんが、阿弥陀佛の光、法然上人のお心と出会っていただける真の観光寺院でありたいと改めて願っております。

合掌

法然院 住職 梶田真章


法話 2 結果より過程

人の生きがいは様々です。自分の目標を決めて、それを達成することに喜びを見出す人もいれば、人を喜ばせることを自分の喜びとして、そこに生きがいを見出す人もいます。 幸福は努力して掴むものだという信念の人もいれば、幸福というのは幸運と殆ど同じで、たまたま出会うものだと考える人もいらっしゃるでしょう。存在しているものは、必ず変化してゆきます。自分が望ましいと思う通りに周囲のものが変化しない(例えば子供が思い通りに成長しない)と苦しく、変わってほしくないことが変わってしまうと悲しい訳ですが、変わってゆくからこそ、ものは存在しているのであり、いつも自分の思い通りに周囲のものが変化してゆくなどということ自体、望むべくもないことでしょう。何事にも拘らずに生きてゆけば、苦しまずに済むということになりますが、それでは喜びや楽しみも生まれないことになってしまいます。

赤ん坊のときの私と今の私は同じ私なのか、違う私なのか。昨日の私と今日の私は同じ私なのか違う私なのか。不変の私、変わらざる私の魂というようなものがどこかに存在するのか。思えば私という存在自体が本当に掴みどころのないものです。今の私が何と出会い、出会ったものに対してどのような反応をし、いかなる行動をとろうとするのかが、次の瞬間の私を決定します。私を存在させているのは私ではなく、まわりの存在(いのち)とのかかわり合いが私を存在させているということになります。

私が精一杯努力しても、目標が達成されるかどうかは、まわりの存在とのかかわり合いによって決まります。努力すれば達成されることが、努力しなければ達成されないというのが事実である一方で、どんなに努力しても出来ないことは出来ないし、努力しなくても出来ることは出来てしまうというのも世の常です。

他人や自分を評価する際、ともすれば目標が達成されたかどうかという結果に囚われてしまいがちですが、私が人生において大切だと思うのは目標に向かって努力する過程です。目標が達成されるかどうかはご縁によりますから、幾ら努力しても縁が整わないときには夢は叶いません。  私は寺を預かっておりますが、私の生きがいは寺を訪れる方が心に安らぎを感じて下さることです。人づきあいに疲れた方には孤独を通じて自分を見つめ直す場を提供し、孤独な方には人との出会いの場となれるような寺を目指しています。

皆様方は生きがいを見つけられましたか。未だの方は焦られずに、発見される過程をもゆっくり楽しまれてみてはいかがでしょうか。

合掌

法然院 住職 梶田真章


法話 1 阿弥陀さまと出会う

お釈迦さま[紀元前463-383?]が悟られた根本佛教におけるブッダ(佛陀)への道は「真実の智慧の道」であり、少数の宗教的天才のみが歩めるものでした。

生きとし生けるものがブッダになれる道を説くのが佛教ではないのか、このような思いの集積のもと、佛教における新しい波として紀元前 2世紀から紀元後 1世紀にかけて初期大乗佛教経典が成立しました。

その中の『無量寿経』『阿弥陀経』などによって説かれた阿弥陀佛は多くの人々の信仰の対象となり、大乗佛教において、無くては成らぬ佛となりました。阿弥陀という言葉は、サンスクリット語の「アミタ(無限)」の音を写したものであり、「アミターユス(無限の寿命をもつもの、無量寿)」と「アミターバ(無限の光明をもつもの、無量光)」という二つ の意味が込められています。

『無量寿経』によれば、はるか遠い昔、世自在王佛という佛がおいでになった時に、法蔵という名の修行者が佛の前で出家し、佛の神通力によって無数の浄土を観察し、自分が佛となった際の佛としてのあり方と自分が建立すべき浄土の特性をまとめて四十八の願いを起こしました。

その後、非常に長期間の修行を経て遂に成佛して阿弥陀佛となり、建立さ れた浄土(スクヮーヴァティー、極楽)において、現在、説法と救済を行なっていると説かれています。

極楽と浄土とは、よく混同されて用いられますが、浄土は清らかな佛の国土という意味で、無数の佛の存在の可能性を説く大乗佛教においては、それぞれの佛にそれぞれの浄土があるため、当然、無数の浄土が存在することになりますが、極楽というのは数ある浄土の中で特に阿弥陀佛の浄土のことを指し、この世から西へ十万億の佛の国を過ぎたところにある超越 的で清浄な世界とされています。

極楽に往生する道の説き方や衆生にとっての阿弥陀佛の意味は、宗派によって様々です。日本における阿弥陀信仰は、多くの佛の中における西方の諸佛の代表という立場から、平等院や浄瑠璃寺に見られるように、極楽を現わす寺院をこの世に建立するという善行を積んで極楽往生を遂げようという平安貴族社会における信仰を経て、中国における浄土佛教の大成 者、善導[613-681]の教えを受け継いだ法然[1133-1212]とその弟子である親鸞[1173-1262]が主張した「他のいかなる修行も必要ではなく、ただ一切の生きとし生けるものを迎えとって成佛させるという阿弥陀佛の本願を信じて『南無阿弥陀佛』を唱えることだけが往生の条件となる、なぜなら衆生が『南無阿弥陀佛』を唱えることが阿弥陀佛の願いなのだから。」という専修念佛(せんじゅねんぶつ)の教えによって、庶民に広まりました。

しかし、室町時代半ば以降、今日まで、先祖教(生者が死者を弔うことによって死者がご先祖さまになるという宗教)が最も有力な宗教であったため、『南無阿弥陀佛』も自身の信心を表明する言葉というよりは、死者を弔うために数多く唱えられてきました。

阿弥陀佛(の本願)と出会っていただけるかどうか、それはもっぱらご縁によります。現代日本において阿弥陀佛と出会っていただくことは甚だ困難であると申さねばなりません。法然・親鸞の教えと申しますと一口で他力と言われ、自分で努力せずに他人に頼って生きることとよく誤解されておりますが、決してそうではありません。他力とは他人の力という意 味ではなく最後は阿弥陀佛の力(おはからい)にまかせ切るということです。この世では努力しても願いがかなわないときはかなわないことを覚悟しつつ、濁世(じょくせ)[濁り、けがれたこの世]を自分の信念に基づき『南無阿弥陀佛』と唱えながら精神的に自由に生き抜こうとの教えです。現世主義に覆い尽くされた感のある中でこの世ならざる聖なる世 界を信心することは、精神の自由に繋がってゆくものであると確信いたします。一人でも多くの方が阿弥陀さまと出会っていただくことを心より願っております。

合掌

法然院 住職 梶田真章


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